リミットをはずせ!
モヤモヤしているわたしに、
「リミットをはずせ!」
と、言ってくれる友達。
そのようなことを言ってくれるこの友達に、
あえて、連絡したんだろうなぁと思う。
しかし、
はずせ、と言われても、
どうすればいいかわからない💦
とにかく行動って、子には言えても、
何もできていない自分がいることに気づく( ・∇・)
そんな時にたまたま
TED conferenceの植松さんの画像を送ってくれた違う友達。
ちゃんと、色々用意してくれる神さま^ ^
そこから、TED conferenceを聴くようになり、
ある conferenceを聴いて、
よし( ◠‿◠ )
行動することに‥
それは、そのまま、
ゴミ拾い。
学校へ遅れて行く娘と歩きながら、
通学路のゴミを拾って行く。
落ちてる、落ちてる、ゴミがいっぱい。
これは、ゴミじゃなくて、福なんだよ。
だから、福拾い。
と、ゴミ拾いを続けている人たちの情報がどんどん目に入る。
娘も楽しそうにゴミ拾いをする。
「わたしの方が早く見つけた〜!」
ゴミが、いや、福がたまると、
なんか、嬉しい♪
「今日もたくさん、拾えたね♪」
「昨日拾ったから、今日は少ないね♪」
おっ‥
なにかが、動いている。
リミットをはずせたか、どうかは別として、
行動できたわたし。
まだはじめたところだけれど、
なにかが、変わりはじめている。
まだ、よくわからないけれど、
そんなものなのかもしれない。
後から思い返すと、
あ、ここだったんだ^^
リミットをはずす、言葉にこだわったり、
成果をすぐに求めたり、
目に見えるものをあてにするから、
わからなかったのかもしれないなぁ、と思う今日この頃。
それでも、生きよう、と思える世の中に♪
若い時に、「自死」について友達が、
「死んじゃダメだよっ!」
って、熱く語ってくれて…
わたしは、それを言われると、
ダメって言われているのに、死んだ子達を否定することになるような気がして、
なんとかなるなら、なんとかしてる。
そう選ばざるを得なかったんだよ…
って、「自死」を選んだ人たちを肯定していた。
否定したくなくて。
仕事上で、病気とかいろいろ・・。
自死を選ぶ人たち、
選んだのに、失敗して生きている人とか、
いっぱいみてきて、
なんか、なんか、何か…
死んだら、あかん
って簡単に言うのは、おかしい、と思った。めっちゃモヤモヤしてた。
(その時は、言葉にできなかったな~…)
今になって、
あーーーって色々、思うところがあり。
自死を選ばざるを得ない世の中がある
個人のせいとかではなく、
この世の中だ…
…と、気づく。(気のせい?)
違いを受け入れる、
みんな、そのままでいい、
それぞれが助け合う。
そんな世の中なら、
ひとり、きばって、
ひとり、がんばって、
ひとり、悲しんで、
ひとり、絶望して、
ひとり、幸せになっちゃいけない…って、
幸せを受け取れなくて、
重たくって重たくって、
死んでいかなくてもいい。
今の世の中を、作り出している一員であるわたし。
それでも、生きよう。
って思える世界になれるように、
何ができるか、
ひとりひとりが考えることが、
「自死」を失くす世の中になるんじゃないか…?
と、思う今日この頃です。
自死、その後の世界でどうなるか?
「自死」について、考える機会が最近たくさんある。
わたしは、少し足を踏み入れ…
娘は、足をかなり踏み入れ。
わたしの初めての死は、父の友達の「自死」。
働き始めて、友達の「自死」。
小さい頃から近くで育った子の大人になってからの「自死」。
そのほか、仕事上、結構ある。
見ようとすると、いっぱい見える…(-_-;)
それくらい、身近なんだよね。
「自死」について、娘が空の上の世界で、
その後どうなるか・・・?きいたことがある。(本人は忘れている)
自殺したら、空に上がれる前に、
透明の檻に入る。
動けない。
苦しくはない。
でも、透明の檻だから、自由に動けない。
そこで、じっと下の様子をみていないといけない。
だから、いやや。
上の世界は、観念の世界だから、
これが欲しいと思ったら、
ポって、作り出せるらしい。
だから、まったく物とか、食べ物とかには困らない。簡単。
でも、感情は別。
感情は、味わえない。
だから、悲しみとかも含めて、すべての感情は神様からの贈り物。
・・・だそう。
・・・みたい。(わたしは、覚えていない)
これを、だいぶ前に聞いたんだけれど、
なんかしら、思い出した。
信じる、信じない?は、別だと思うし、
それを確かめられる術はないので、わたしはそのまま受け止めるタイプで(^^ゞ
透明の檻に入るってことは…
この世界を自ら去るって選択をしたひとは、
味わう予定だった感情を、
透明な檻の中から、
ずっと見てる・・・ってことなのかな?と思い…
見てるだけなら、
それなら、味わった方がいいんじゃない?
と、思ってしまう。
今は…
それも、これも、
娘のこと、胎内記憶、のおかげかな…と思う。
以前のわたしは、そう思っていなかったから。
長くなりそう、まとめられない、
から、つづく。
母の心のモヤモヤ
最近、モヤモヤする( 一一)
2学期に入って娘が調子が悪いからか…?
夏に冷房を浴びて、毎年9月になると調子悪いからか…?
食べ物に気を付けたり、よく寝るようにしたり、休むようにしたりするんだけれど、
モヤモヤする( 一一)
うーーーん…(´ε`;)ウーン…
見たくないところに、目がいく💦
原因は…2つ考えられて。
①PTSD(心的外傷後ストレス障害)って、
記念日反応というのがある。
震災、事故、事件に遭遇した方が、
節目の時期になると起こりえる心身反応のこと
娘はいじめにあった2学期、が記念日反応で、
去年は今年の比じゃないくらい、ドーーーンっとあった。
私は…
娘のいじめのこと、
去年の娘の記念日反応。
自分に直接起きたことではないけれど、
わたしも知らず知らず、あるのかな…?と思った。
まあなんせ、娘が窓から飛び降りようとするところを見たわけだから、
軽くでもPTSDになることは考えられる気がする。
そこにフォーカスあてないように、
楽しいこと、できることを考えていたんだけれど、
どうも、最近ぼやける…(-_-;)
あとは、
②潜在意識でつながっていて、
娘の感情を感じてしまうのではないか…?
一緒に学校に歩いて行くと、
わたしは緊張していないのに、バクバクして来たり、
なんや、モヤモヤする・・・と思ったら、
隣で娘が暗い顔していたり。
つながっている???
娘の声みたいなのも、感じたこともあるわたし。
ありそうだなあ…でも
二人でdownしているわけにはいかない…"(-""-)"
でも、それもそうだよね…
モヤモヤするよね…
よくがんばってるよね…
って、自分の感情認めてあげることも大事かな。
よし、よし、(*^。^*)
ありがとう、わたし。
今日もいっぱい、
ありがとう♪
とても似ている親子
泣けなくて、助けてって言えなくて、
自分でどうにかしようとしている娘を見て、
そっくりだな…(;'∀')
と思った。
どんな教育本読むより、実践するより、
背中、生き方なんだなあ…って( ;∀;)
わたしは、娘のあれこれで、
もう自分に蓋することができなくて、
最初は我慢していたけれど、娘に怒ったり、泣いたり、笑ったり、
色んな感情を出すことにしている。(ある程度冷静に…)
その感情を出すのに、とても苦労したんだけれど、
心に届いた人の言葉とか、
苦しんでいる娘に伝えたら、全部ビンゴ💡で…
伝わる、伝わる…
話していると同世代に思える娘。わたしが幼いだけか・・・?
あなたは、いくつだ?と、思った💦
感情を出している、とスクールカウンセラーに話したら、
「それはとてもいいことだと思います」、とかえって来て、
今になって、あ、そういうことか…とわかった。
親があらゆる感情を我慢していると、
子どもはそうするもんだと見て学んで、
あらゆる感情を我慢してしまう。
わたしが出すようになったから、泣けるようになったのかな~?
あんなにがんばり屋さんなのも、
わたしが歯を食いしばって仕事に行っていたのを
見ていたからなのかな~…(-_-;)(今は食いしばっていない)
ということは、
親が楽しんで人生を歩んでいると、
子どももそうなる、ってことだと思う。
人生は楽しむもんなんだ♪
と、学べる。
「楽しもう!」って表情硬くクタクタにしてたら
伝わらないと思うけれど…*1
『人の振り見て我が振り直せ』
っていうけれど、
こんなに近くにいたら、毎日気づけるな~♪
*1:+_+
自分を愛して下さい。
ギリギリで歯を食いしばって学校に行っていた娘が、
あることをきっかけに
「うわあ~~~んっ( ノД`)シクシク…」
って、心から泣いた。
いいことがきっかけでピンと張りつめていた気持ちが、
ゆるんだんだと思う。
そう思うと、そうやって泣くことってほぼなかった娘。
「モヤモヤする。」
は、泣きたい気持ちが押し込められた「モヤモヤ」なんだ、と気づいた。
それから娘と話していると、
毎日泣きたい気持ちになる。
我慢しようとがんばると、モヤモヤして帰りたくなる。
泣くと、恥ずかしいから泣けない。
泣くと、心配されて迷惑かけるから、泣けない。
「友達が誘いにきてくれても
教室に入れないこんな自分でごめんなさい。」
「普通じゃなくてごめんなさい。」
「いじめられてごめんなさい。」
「学校に行けなくてごめんなさい。」
たくさんの、「ごめんなさい」。
これをふるえる声で言いながら、しくしく泣いた娘( ノД`)シクシク…
わたしが悪いから、迷惑かけられないから、
悲しんでては、ダメ、泣いてはダメ。
がんばれ、頑張れっ、ガンバレ!!!
って、自分のお尻たたいてたんだろうな…
でもできなかったり、がんばれなかったりすると、
またまた「ごめんなさい」になってしまう。
泣いてスッキリした顔した後に、
あなたはすごいんだよ、とか、面白いとか、優しいとか、
娘のいいところを書いて二人で読み合って(^^♪
「お母さんのところに来てくれてありがとう」
と声をかけた。
自分が泣き出すと、ふと私の顔を見る娘。
心配してるんじゃないか?おかあさんは大丈夫か?と
すぐ私の心配をしてくれる優しい娘。
安心して泣いていられんよね…(-_-;)
先生にも、友達に対してもそう。
そのやさしさを、自分に向けて欲しいと願う母。
娘が泣き出したきっかけは、
「自分を愛して下さい。」
とある方からのメッセージでした。
心温まる言葉と思いをありがとうございました♡
学校に来たら、すばらしい?
娘が、フリースクールの予約をやめて
学校に行った日。
ある先生が、
「すばらしい!」
って言ったらしい。
その時に心の中で、娘は
何言ってんの⁉︎
って、毒づいていたそうで‥
なんでか、わかります?
わたし、わからなくて💦
その先生に悪気はないのはわかって。
その他の要因なのかなぁ?と思ったら、
人に聞いたことは関係ない、と。
そのあと、
なんか、不登校の子が学校に来たらすばらしいというのは、
来ないことは、すばらしくない、ときこえて。
‼︎
‥
どんな自分でも、すばらしいはずなのに。
学校に行かなくても、すばらしいはずなのに。
学校に来たら、すばらしいと言われる。
じゃあ、、、
行かなかったら、わたしは何❓
なんだろうなぁ‥
そのままで、
ありのままで、
いいんやよ。
を大人はしているつもりでも、
(先生はどういうつもりか、わからない)
大人の今までの生き方から、
発せられる言葉に
傷ついてしまう。
ほんまに、
根本的に
ありのままでいい。
って、生きてるだけで、、、
と思えないと、
言葉が漏れる。
そういうとき、どう反応すればいいのか❓
世間の感覚っぽいのでも、
上から言葉でもなく、
自分の主観が一番いいと思った。
顔、見られて嬉しい♪
これ、多分誰にも怒られないし、
言ってもいいよねぇ⁉︎