ほめる
娘のことがあってから、育児書を読みあさった。
わたしのしてきた育児、間違えてないよね?
「そんな本には何も書いてないで。」
って娘には言われたけど(苦笑)。
ほめる
赤ちゃんの時は、
笑ったら、泣いたら、寝返りしたら、ハイハイしたら、歩いたら、
「すごいね~♪」
…ってほめてた。
保育園の時も、そう。
お遊戯とか。初めて~ができたっ♪って。
小学生。
ここからは、
宿題をがんばった。
時間割をがんばった。
お手伝いをがんばった。
発表をがんばった。
テストをがんばった。
学校での係をがんばった。
なにかをがんばらないと、ほめられない。
ダラダラしたり、ゲームしている子供、
宿題を忘れた子供、
忘れ物をした子供、
泣いている子供、
ほめる?
否。
子供は学習する。
がんばらないと、ほめられない。
そのままだと怒られるか、関心をもってくれない。
わたしは、ほめられたかった。
いや、母に迷惑をかけたくなかった。
だから、がんばった。
どんないい成績をとってもほめられることはなかった。
迷惑をかけないよう気にして生きてきたけれど、
「迷惑をかけなくてえらいね。」なんて言ってほめられるはずもなく。
問題を起こす、好きなようにしているように見える弟が母から注目される。
「わたしをみて欲しい。」
って、気を回せばまわすほど、空回り。
わたし、こんだけがんばってるのに!
当時はそんなことにもまったく気づいていなくて、
なんかモヤモヤたまって、しんどくて、面白くなくて。
わたしはこんなにがんばっているのにっ!
ほめられたい、は母以外でも、他人からの評価を気にするようになった。
どうみられるか?
自分の気持ちは奥底に閉じ込めて、
他人の評価だけ気にするようになった。
ほめられると、嬉しい。
けれど、それはがんばったからほめられたこと。
じゃあ、次ほめられるようにもっとがんばらなければいけない。
もっと、
もっと、
もっと。
これって、終わりがない。
一番をとったら、次も一番。
そのためには、更にがんばるしかない。
それでもがんばった。
ほめられたい。
がんばる。
ほめられた。
もっと、がんばる。
そのくりかえし。
そんなにがんばっているように見えなくても、楽しそうにしている人もいる。
そういう人を見るとイライラした。
わたしはこんなにがんばっているのにっ!
イライラは、がんばればがんばるほどつのるばかり。
わたしはこのやり方しか知らなった。
ひとりの時は、それでなんとか生きてこれた。
ひとりなら、がんばればなんとかなった。
でも子供はちがう。
わたしががんばっても、どうにもならない。
でも今回のことで、娘に教えられた。
「そのままでいいやん。」
がんばっていないわたしが、とても心地良いこと。
9時に寝なきゃっ!って時間とのたたかいをしている時より、
ま~適当でいいか、とやること置いといて、ゆったりしている方が心地良いこと。
(その方がよく眠れたりする)
自分がダラダラすると、
娘がダラダラしているのもあまり気にならなくなる。
そのように生活するようにしていると、
そんなに「ほめる」ことに、こだわらなくなる。
「もー、ええやん。」って感じで。
宿題しなくても、
勉強しなくても、
遅れても、
休んでも、
ええやん。
ほめられなくても、ええやん。
生きてるし、ええやん。
笑ってるし、ええやん。