わたしはしあわせ

ずっとがんばってきたけど…もうや~めた☆自分のこころに耳を傾ける日々の記録

心が凪の花火大会

わたしは人が多いのがあまり好きじゃない。

 

なので、花火大会なんてもってのほか。

人の多さ、声とか音。人の臭い、気配。

あちこちにあふれていて、すごく疲れる。

なので、列に並ぶのもとっても苦痛。

 

イライラ( `ー´)

 

しっぱなしだった。

 

娘も人ごみはキライなので、なるべく早い時間に行って

すぐ帰る~みたいな感じでやり過ごしていた。

親としては、花火大会やお祭りに連れて行かねば…

と思うけれど、どうしてもイヤで、

行ったら、行ったで、

 

あっちにイライラ・こっちにイライラ( 一一)

 

していて、早く帰りたい雰囲気出しまくっていた。

ここが終わったら、帰る!みたいな。

 

 

今年の花火大会。

娘が友達と行く、というので、

仕事だったわたしは途中まで友達のお母さんにおまかせした。

途中で合流したんだけれど、

(行きたくない、帰りたい…早く帰りたい…)

と、心の中では思っていた。

 

いつもだったら、

ゲーム2つして、あそこで食べて、帰る!

帰ってからは、シャワー浴びて何時には寝る!

と決めて、子供を追い立て、さあ次々と急き立てる。

 

でも今回は友達と一緒だったから、

ゆ~~~っくり。

 

不思議と、行きたくないと思っていたわたしも、

なんか、ゆ~~~っくり。

イライラすることもなく、

めっちゃブラブラして、

楽しんでいるわたしがいた。

次、次と急き立てられる気持ちもなく、

その場にいる感覚。

 

 

あれ、心が凪だ。

 

 

めっちゃ苦手な花火大会が苦痛ではない!?

 

あれ!?

 

自分でもびっくり。

 

帰ってから、ああして、

明日はあれがあるから、

早く寝かせなきゃ…(考えるだけで息が切れる(-_-;))

 

いつものこれがなくて、

 

まあ、帰ったら帰っただー

明日は仕事休みだし、ラッキー♪

あ~でもラジオ体操だけど…

わたしが行くんじゃないから、いっか~☆

 

ふと、次の予定が思い浮かぶんだけれど、

その度に、まっいっか~と打ち消す自分がいた。(気づかないうちに)

気づくと今を楽しんでいるわたし。

 

次のことを考えないと、

今がこんなに楽しくて、

心が凪なんだ~♪

 

お祭り=次の予定を考えて焦ってイライラする=不快=行きたくない

 

につながっていたんだな~

お祭りそのものではなく、

それについてくる感情を

ごっちゃにしていたんだ。

 

大発見(^^♪

 

今までいかに今を生きず、

先のことばかりに目が向いて、

イライラしていたかが、

よ~~~く…わかった(;^_^A

 

今年は…

何十年も生きてきて、

地元のお祭りで

花火を最後までみた

初めての年になった\(*'▽')/

やった~!

 

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自分で自分のことをいじめる

教室へ入れないのは、

①学校がこわい

②学校というシステムに納得がいかない

 

このどちら?

と娘にきいてみた。(ズバーっと)

これも直感で聞きたくなって(;^_^A

 

「①」

 

いじめがあったことで、まだ安心できないといったことだった。

何が起こるかわからない。

 

いじめは良くないこと。は、大前提。

その上で、

自分にフォーカスして考えてみた。

 

すると、娘が、

「あの時は、必死に人に合わせていて自分がなかった。」

と、いじめがあった時期の自分のことをふりかえっていた。

 

そんな自分のことを好きだったか問うと、

 

「好きじゃなかった、イヤだった。」

 

人に合わせる自分のことがキライだったのに、

人に合わせていた。

イヤなことを自分に強いるのは、

 

 

自分で自分のことをいじめているのと同じようなもの?やんね。

 

 

なので、

自分のことを大切にして!

ということで、

それを気づいてもらう出来事が起こったんじゃない?

 

でも今は、イヤなことは嫌!って言ったり、

教室はこわいから入れない!って入らなかったり、

ニンジンはキライって言ったり、

好きなプールは参加する!ってしたり、

自分のこと今の方が好きでしょ?

 

と聞くと、

 

ニコニコして、「うん!」。

 

自分のままでいられるよう、

今があるんだと思うよ。

それを続けていれば、それが自然になれば、

いいところにいくよ。

いいところが、教室なのかどうかよくわからないけれど、

今のあなたなら大丈夫だよ。

 

と伝えた。

自分で自分に言っているようなこと。

言いながら、あ~自分に言ってるな~と実感。

 

わたしも自分で自分をいじめていた

 

それがわかった。

 

事が起こると、

周りに目がいきがちだけど、

ほんとのところは、

自分の中にある。

 

これからは、めっちゃ大切にするぞ、わたし♪

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自分で選んで生きていく

「わたしは、

 人に与えられたものではなくて、

 自分で選んで生きていく」

 

これは、娘の言葉(*'▽')

 

「選ぶ」って、小さな積み重ねで、

朝、着る服とか、食べるもの、もそうだし、

選択の積み重ねで日々があるわけで。

 

小さい頃は、着る服や食べるもの、その他いろいろを大人が決める。

どこかで、

自我が出てきて、

これが着たい、これが食べたい、となる。

 

「学校で勉強する」

これも敷かれたレール、決められたものを大人が提供している。

良かれ、と思ってなんだけれど、

最近は、小さい頃から自分で選ぶ子が増えている。

レールをはみ出る子。

 

はみ出るって言うと聞こえが悪いかもしれないけれど、

自分でこれ食べる、これ着るっていうのと

そんなに変わらないと思う。

結果、

どんな形であれ勉強をするのなら、

そのレールが学校でなくてもいいと思う。

親の決めた服を着なくていいのと同じで。

 

着る服・種類が多いと、色んな好みの子たちに対応できる。

服が少ないと、もっと派手なのが好きな子には物足らなくなる。

選択肢が多いと

多様性に対応できる。

 

勉強の方法、場所、にも多様性があると、

色々な子に対応できるんじゃないかと思う。

 

「自分で選びたい!」

という子が増えているのは、

個性を大切に育ってきているってことだろうし、

違い(個性)が認められる世の中になってきているということだと思うから。

 

そんな子供達を大切にする世の中になって欲しいな。

 

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感情を大切にする

「すべての感情はギフト」

 

とてもしんどい時期に、このメッセージを受け取った。(ネットだったかな)

 

最近、娘とDVDとかドラマとか感動するものを観ていると、

二人で涙している。

 

それで気づいた、思い出したことがある。

 

小学生の時、

毎年8月には学校から登校日に戦争はダメという映画を観に行っていた。

その映画は、毎回毎回とても悲しく泣けるものだった。

そのことで思い出したのは、

 

 

涙を必死に我慢していたこと。

 

 

悲しくて悲しくて号泣しそうなのに、

他の子は全然泣いていない。

みんな、我慢しているの?

なんでわたしだけ、こんなに悲しいの?涙が出るの?

わたしはおかしいのか?普通じゃないのか?

 

みんなに合わせて、泣かないように

どこかつねったり、せっかくいい場面なのに目をそらせたり違うことを考えたり。

こらえるのがしんどくて、

毎年その日は、苦痛だった。

 

そんなことを家で感動して泣きながら思い出した。

 

泣く自分をこらえるのって、

自分を否定していることになっちゃう。

感動するのって、悲しいと思うのって、すてきな感情なのに、

そんなに感じすぎる自分はダメだ、他の子と違うって

小さい頃から

 

それじゃだめ、

ちがう、みんなと一緒じゃなきゃ、

泣いちゃダメ、

 

と感情を、自分を否定してきたことに気づいた。

 

 

感じちゃダメだなんて、ごめんね。

泣いてもよかったんだよ。

そんなに感じられるのって、すてきやね。

 

 

そんな自分をなぐさめて、よしよししてあげる。

 

あ~~~

それでそんなに心にもやもやがたまっていたんだーーー

と実感。

そんなふうに押し込めてばっかりいたからか、

わたしには小さい頃の記憶があまりない。

 

「すべての感情はギフト」

 

悲しみも、ギフト。

涙も、ギフト。

 

どんな感情も大切にすることは、

 

自分を大切にする、

 

人を大切にする、

 

ことにつながる。

 

感じ方は、それぞれだから、

違いを大切にすることにもつながっていくんだと思う。

 

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本との出会い

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この本と最近出会った。

昔から、大好きな図書館で。

何十年も、通っているのに、手に取ったのは今。

 

これまで起きたこと。道のり。

今、あること。

 

あ~そうなんや~…

 

なんとなく感じていたことが、この本ですっと入ってきた♪

 

今まで起きていた問題、と思えること。

摂食障害適応障害、いじめ、不登校

どうして?どうして?

と、渦中にいるときは思っていた。

 

なんとなく、乗り越えても、

また来る。

 

自分の子供のことで、ドッカーンっとあって、

自分の枠が、取っ払われた。

取っ払わないと、

どうしようもない状況が用意された、

ということなのかな。

 

すると、

世界の色が変わって、

悩みが悩みじゃなくなり、

物の見方が変わった。

 

枠の中だけでどうしようか考えていたことが、

枠の外に出ると、

事によっては、どうでも良くなったり、

外から見るから、全体が良く見えたり。

 

まだまだ、枠に入ったり、出たりの状況だけれど、

おお、こっちはいいなあ☆

と、枠からの出方を日々探している最中。

 

その方法が、

自分の心に耳を澄ますこと。

ピンときたこと、とか、ワクワクしたことを

大切にすることだな~と思って

実生活で、

 

「おっ、ピンときた!よし、ここは動こう!」

「めっちゃわくわくする、楽しいっ♪こっちやな。」

「予定があるけれど、何かイヤな感じするし、

気が向かないから、やめておこう。」

 

をしているところでこの本を読んだら、

 

おおーーー!!!

 

書いてあるっ☆

 

って感じだった。この感動ったら、、、これもワクワクだなあ。

 

本だけではなく、映画とかドラマとか、

なんでもないところに、

メッセージがあふれている。

 

自分の心に耳を澄ませていると、

メッセージが自然に入ってくるので、

楽しくて楽しくて仕方ない♪

 

そういうことになっているんだ、と思うと、

楽しくない、しんどい出来事にも意味があって、

こうなるために、あれがあったんだ、とわかる。

すると、

失敗しちゃっても、

 

「あ~~~失敗した、なんてわたしはダメなやつだ。」

 

と、自分を責めて落ち込んでいた前とは違って、

 

「失敗しちゃったな、ん?これチャンスかも。

 こう生かせる、ここでこのシステムを変えられるかも!?」

 

と、落ち込むけどその後に落ち込む以上に色々勝手に浮かんできて、

浮かんでくることが楽しくて

そっちをしたくなるので、

失敗が、失敗じゃなくなり、進化につながっていく感じになる。

失敗も次の地点にいくために、

必要だったってことになる。

 

自分を責める必要がなくって、

逆に進化するためにこの機会を使えるだなんて、

なんてステキ☆

って、賞賛したくなる(笑)

 

こんな毎日は、なかなか面白い(^^♪

 

 

 

転ばぬ先の杖はいるのか?

先生から、娘の気になるところの話があった。

 

「言葉がきつい時がある」

 

ということ。

それで何かトラブルになったり、誰かが傷ついている、という話ではなかった。

 

 

あ~…

そういうところ、あるかもな。

 

 

ここでわたしの「どうにかしなきゃ」スイッチがやや入った。

 

その言葉で友達が傷ついて、

友達の関係が良くなくなって、

学校に行きたくない!って

なったら、どうしよう!

と、そうならないように先に打つ手がないかどうか、

考える「どうにかしなきゃ」スイッチ(-_-;)

 

スイッチがやや入った…

全開ではなく、なんか違和感感じるな~と思いつつ、

今回は、娘のためというより、

先生困ってるのかな~といった感覚だったように思う。

 

娘とそのことについては話した。

そんなつもりはまったくなく、

いっぱいいっぱいの時が多く、余裕がなくて

そういう感じになるみたい。

 

でもきついと感じられるのは、ショックって。

受け止め方は、それぞれだから、

「本当に友達がそう思っているかどうかはわからないね~」

「先生はみんな仲良くしてほしいんだろうね~」

それは、わかるけれど…

「でも、なんか納得いかない。」

という娘。

話しているうちに、

 

「あ~~~先生も私も、子供達のこと信じられてないな~」

 

って思って、言葉に出した。

 

転ばぬ先の杖、かな。

 

まだトラブルにもなっていない。

娘が余裕なくて、そういうきつい感じになるのも、

もしかしたら、友達たちは感じ取ってくれているかもしれない。

子供は、大人が思うより、すごい。

 

もし、トラブルになっても、

それはそれでチャンス☆だ。

そこで気づき、

言われた方も、言った方もたくさん学べる。

 

どちらもとても素敵なことなのに、

大人が子供を愛してるからこそ…なんだろうけれど、

信じられないから、

転ばないように、転ばないように、先に杖を渡す。

 

まだまだ、学べるのに。

 

「みんなとてもステキな友達やもんね~

大人は心配し過ぎやな。

大丈夫やな~♪ごめんね。」

 

とか話しているうちに、娘の表情はほころんだ。

 

また、教えてもらったな~

 

杖、いらな~い♪

 

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「ありがとう」の効果

 あ~~~わたし今、イライラしている…

 

最近、リアルタイムで感じられるようになった。

たとえば今朝。

 

「ゴミ出ししてきて~♪」

 

「ええ~~~!」

 

「…」

イライラしている、わたし。

気温は朝から30度超えてて、暑いし。

夏休みなんだから、ゴミ出しくらいしてくれたっていいやん。

生活点検表にお手伝いの項目あるのに。

なんでこの子は、「はいっ!」って言えないんだ?

 

こんなことを顔色は変えずに頭の中がめぐっていた。

 

ここで「なんでできないの?!お手伝いは!?」

って、言ったら言い合いになる。

余計暑くなる。

そもそも、「え~~~!」の理由はなんだろう?

暑いから動きたくないのか?

いや、わたしはどうだろう?

「はいっ!」って返事したことあったかな?

…ないかも(-_-;)

じゃあ、まずわたしが「はいっ!」するところをみてもらって、

それからだな。

自分がすればいいんだ。

イライラしてたら逆効果やな。

 

…と、イライラが少しずつおさまって。

頭の中で、そうこう考えているうちに、

「ごみどこ?」

と、言いつつ、ゴミ出しに行った娘。

 

あ、怒鳴らなくても済んだ。

 

さらに戻ってきた娘に、

 

「ありがと~♪助かったわ。」

 

と声をかける。

「うん。」と娘。

 

ほほう。

怒鳴って「行くんだったら、あ~だこ~だ言わずさっさと行けばよかったやん!」

と文句を言わず、

「ありがとう。」と言った。

 

多分、文句言ってたら、どちらも後味悪くて朝から気分最悪。

でも「ありがとう。」って言えた自分にすごいな~って思えてた。

朝から気分がいい♪

 

なんや、こっちの方がええやん☆

 

ちょっとしたこと、自分ですぐできること。

成功したら、またどんどんしよう♪って思える。

その度に、ハッピーがたまっていく☆

 

よくイライラを感じることができました、わたし。

えら~いっ!

 

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