自分で選んで生きていく
「わたしは、
人に与えられたものではなくて、
自分で選んで生きていく」
これは、娘の言葉(*'▽')
「選ぶ」って、小さな積み重ねで、
朝、着る服とか、食べるもの、もそうだし、
選択の積み重ねで日々があるわけで。
小さい頃は、着る服や食べるもの、その他いろいろを大人が決める。
どこかで、
自我が出てきて、
これが着たい、これが食べたい、となる。
「学校で勉強する」
これも敷かれたレール、決められたものを大人が提供している。
良かれ、と思ってなんだけれど、
最近は、小さい頃から自分で選ぶ子が増えている。
レールをはみ出る子。
はみ出るって言うと聞こえが悪いかもしれないけれど、
自分でこれ食べる、これ着るっていうのと
そんなに変わらないと思う。
結果、
どんな形であれ勉強をするのなら、
そのレールが学校でなくてもいいと思う。
親の決めた服を着なくていいのと同じで。
着る服・種類が多いと、色んな好みの子たちに対応できる。
服が少ないと、もっと派手なのが好きな子には物足らなくなる。
選択肢が多いと
多様性に対応できる。
勉強の方法、場所、にも多様性があると、
色々な子に対応できるんじゃないかと思う。
「自分で選びたい!」
という子が増えているのは、
個性を大切に育ってきているってことだろうし、
違い(個性)が認められる世の中になってきているということだと思うから。
そんな子供達を大切にする世の中になって欲しいな。