いいおかあさん。
いいおかあさん、でなきゃ。
子供を大切に思う、いいおかあさん。
それは、
自分のことを後回しで子供に尽くすおかあさん。
いつも笑顔で明るいおかあさん。
公園に連れて行ってくれるおかあさん。
誰にでも優しいおかあさん。
子供の話を聞いてくれるおかあさん。
こう、あらなければ…っ!!!
と、自分を必死で当てはめてきた気がする。
自分がいかにつらくても、そうあるべき!と…
でも、四六時中笑顔なんてできるはずない。
実際にはとても無理な話で。ロボットならできると思うけれど。
こういうおかあさんでいたいと思ったのは、なんでか?
他人にいいおかあさんだと思われたかったから。
まして、わたしは離婚もあったので、
余計にそれに拍車がかかった。
そのために子供に良いと思われることはしたけれど、
自分が思わないのに必死でするのってすっごく疲れる…
ピアノとか、他の習い事。
子供のため、と思っていた部分もあるけれど、
なんか、いいおかあさんを目指していたとも思う。
公園とかで、ママ友とか、わたしは得意ではない。というか、苦手。
でも、いいおかあさんでいるためにはやらなければっ!
→疲れる…
でも…いいお母さんで…
→だいぶ、疲れる。仕事もある。
でも、仕事でも、子育てでも頑張って…いいおかあさんでっ!
→へとへと。余裕ない。
負のスパイラル(苦笑)
わたしは、離婚したけれど、自分の両親と同居していたので
すごく恵まれた環境だった。
だから、そんな「いいおかあさんでいなきゃ」と思う中でも
余裕が作れていたから、本当に助かったんだと思う。
人目を気にしていた、だいぶ。
でも、よく考えてみると…
そんなものなくても、いいおかあさん像じゃなくても、
めっちゃめっちゃ、娘のこと大好きだった。(今もだけど♡)
それだけでいいんではないか…
と、今やっと思う。
ほんと、愛おしい♡
学校へ行けなくて苦しんでいる時、
かわいいとか思える余裕もなかったけれど、でも必死で命をつなぎとめようとしたな。
それはやっぱり愛おしいから。
不登校だから、どうしよう?って、
必死で悩んでいるのは、
子供のことが、大好きだから。
あ…
それで、それだけで、いいんや。
何を難しく考えていたんやろう?
多分、子供が欲しいのは、そこだけ。
そのまま、そのまんまを、受け入れて欲しい。
学校に行けなくても、行けても、どちらの自分も、好きでいてほしい。
そんなの当たり前や~んっ!
って親は思うけれど、子供はそうではない。
不登校、とかあって、必死で学校へ行かそうと親や大人がしていると、
学校へ行けない自分は親や先生に愛してもらえない、と学習してしまう。
ここを紐解きたい、わたしも思い出す、伝える。
「生まれてきてくれて、ありがとう。」
何日か前に思いたって書いた切れ端を見つけた娘が、
「なにこれ~~~っ!めっちゃ涙出そうなこと書いてある~!」
と、喜んでくれた♪
やったーーー!!!