なんで教室へ入りたくないのか?
娘は、学校へ行ったりしているけれど、
別教室が主で、教室に入るのは気が向いたときだけ。
それが本人の意思ならいいや、とわたしが思えるようになって、それが現在進行形。
昨日ふっと、
「ねえ?なんで教室入りたくないの?」
と、直球で聞いてみた。
ほんとにわからなくて聞きたくなったから。
すると、
「ん~…わからない。」
軽~く、この返事。
「わからない。」
わからないって、わたしはなんだか気持ちが悪くって。
わからないのはなぜなぜ?って追究したくなるんだけれど。
この「わからない」を聞いて、
わからないくて、いいんだ~♪
と、思った。
わからない、そんな時期も受け入れる。
そこまで娘は考えていないけれど、目の前の生活を楽しむ。
色んなところに、スイッチやヒントがあって…
何やら好きなことをしていると…あっ!って瞬間がある。
見つけようとすると、見つけられないもの。
自分で選んで、無意識で、楽しいからこそ見つけられるもの。
実際、動きはじめている娘。
絵描いたりして、人に話したり、自分では気づいてないだろうけれど、
自分の思いを表現しはじめている。
これもやっと、やっと…や~っと…今。(これはわたしの時間軸)
娘にとっては、
今じゃなければ、それだけ時間が必要だった。(これが娘の時間軸)
悲しむ、不安になる、否定する、休む、そんな時間もあっていい。
そんな時間は、否定したくなる。
とっても焦る。焦った。だいぶ焦った。しんどかった。でも、
いくら短縮しようと大人ががんばっても、
やっぱり子供の心はついてこない。自分で選んでいないから。
これもいっぱいやってみて、失敗したな~とか思ってみて、や~っと気づいた。
時間が止まってずっとこのまま動かないんじゃないか?
めっちゃずっと不安だった。
でも止まったようにみえて、動いていた。ゆっくり、ゆっくり。
南極の氷が動いているみたいに。
日々、悩むし、迷う。
色んな発見も、出会いも、閃きもある。なにかがつながる瞬間がおもしろい☆
これがだんだん楽しくなってきた♪
すると、正解、不正解はどうでもよくなってきた。
正解→学校へ行く
不正解→娘が不登校(教室に入らない)
誰が決めた?世間が決めた?自分で決めてた?お~こんなの面白くないっ!