わたしは今、迷って悩んでいますが、しあわせです。
娘のことがあってから、
わたしがこれまでがむしゃらにがんばっていたことに気づいた。
旅行中も、がんばってた。楽しまなきゃっ!って。
習い事も、がんばらねばっ!…そのうち、バーンアウト。
仕事はもちろんのこと、全力でがんばる。
それから、まだがんばり癖は完全には抜けないけれど、
自分のことに気づきはじめた。
おっ、今怒っている、イライラしている。
→なんでわたしだけって思っている。
今、イライラ・ザワザワしている。
→小さい頃のわたしを見ているみたいだからだ~。
おお、楽しい。
→やっぱりこれは好きだな~。
なんて、向き合いたくないところもあるけれど、
娘とか周りの人を通して、自分のことを見ることができる。
グサグサ槍が胸に刺さるけれど、そのグサグサが気持ち良くなってきた。
人に向けていた時はずっとモヤモヤしていた。
なんで?
なんで?
なんで?
自分に向けると、なんでがなくなり、
あ~そうか~…って、だんだん笑けてくる。わたし、ダサっ、って。
何十年も自分のこと無視してきたけど、
掘って掘って掘りまくっていくと、結構面白い。
娘の不登校のこと、
「学校に行く」という当たり前とも思われる前提がなくなると、
「学校に行かない、学校がない。」という当たり前が当たり前の世界だと、
不登校は、問題でも悩みでもなんでもなくなる。
そう考えると、どんなのでも悩みは悩みじゃなくなるんだな~って。
とは言え、
今の日本では「学校へ行く」ということが当たり前になっているので、
そこで悩む親子なのですが…
当たり前に思えることを本当にそうか?って疑ってみると、
結構おもしろいことがいっぱい見つかる。
学校も他の国では当たり前ではないところもある。
電車やバスが定刻に来るのが当たり前と思っていると、
海外でイライラすることになる。遅れるもの。
不登校にしても何にしてもそんなふうに考えると、違って見える。視点を変える。
なので、毎日いろいろあるけれど、
わたしは今、迷って悩んでいますが、しあわせです。