「どうしてほしい?」からはじまった。
「死」って文字を繰り返し書いたり、
暴れて、
眠れなくて、
フラッシュバックも起きて、
飛び降りようとしていたり、
そんな時期。
この子が消えてしまう!
と不安で、
夜もずっとそばにいた。
すっと、部屋を出て行くと、
追いかけていた。
不眠の日が続くし、
寝ている間にいなくなったらどうしよう?と、こわくて、
親子で入院したい、と心から思っていた。
こんなときはどうしたらいいか?
おかあさんが元気でいないと。
ほっておいてみたら?
距離をとって…
とか、アドバイスをくれる人たち。
娘に相談してみた。
「今は、おかあさん心配だからずっとそばについているけれど、
わーってなった時、少し離れた方がいい?
おかあさんがしていることで逆に、しんどくなるのかな?と思って。」
…
その時の表情はよく覚えている。
すっと暗い表情になって、
わたしの顔を横目で見ていた。
しばらくたってから、
「いて欲しい。」
これ聞いた時、うれしかった。
「わかったよ、いてるわ♪」
この、「どうしてほしい?」
聞いてよかったと思った。
聞いてからは、一緒にいてることもこの子が望んでいることだって
確信をもてたし。
自分も一緒にいたかったし。
どうしたらいいか、わからん。
どうしたらいい?
わからないときは、一緒に、わからんな~って言ってたりすることもあるんだけれど、
この時から、娘によく聞くようになった。
「どうしよう?」
「どうしたい?」
自分が思っていることも同時に伝える。
「~思っているから、~したいんだけれど、どう思う?」
これをちょっとずつしてきたことで、
今はこれが当たり前になっていて。
「~思う」
ことが、必ず世間的に正しいことじゃなくてもよくて。
「なんか、腹立つんやけれど…」
みたいな感じで、言うこともある。
わたしが我慢しないで、どんなことも伝えるようにすると、
娘もどんどんそうするようになってきた。
今、思うと、
あの「どうしてほしい?」から、はじまっていたんだと思う。