わたしはしあわせ

ずっとがんばってきたけど…もうや~めた☆自分のこころに耳を傾ける日々の記録

生と死のつながり

仕事柄、人の死に立ち会うことが多い。

でも、???・・・

これでいいのか?

ちがうような気がする、といった漠然としたひっかかりがあった。

 

子どもが色々あり追い込まれて、

2階の窓に足をかけていた。

 

このことをきっかけに、

「死」がぐっと身近になった。

どこか他人事だった「死」

他人事ではなく、今、明日、明後日…

いつ訪れてもおかしくない、

生きていることは、当たり前でないことを実感した。

 

そう思うと、

今生きていることが、とてもありがたいことだと感じた。

有難い=有るのが、難しいこと

娘の寝顔をじーっとみていて、

生きていて、この寝顔を見られることが、

とてもとてもありがたいこと、

涙がぽろぽろこぼれて、

胸があつーくなって、

あーーー

生きていることが奇跡だ、と

物とか自然とか、人とか、地球上にあるものすべてから

パワーみたいなものをもらっていることに気づき、

何とも言えない感情になったことがある。

 

 

collateral beauty

 

 

この感情のあとしばらくして観た映画が、これ。

邦題は「素晴らしきかな、人生」。

まさにこれだな、と、観た時にまた味わえた。

世界が変わる、collateral beauty(幸せのおまけ)。

 

普段生活していると、忘れがち。

これを書いていて、わたしも久しぶりに思い出した。

 

そんな体験があり。

仕事では、人の死に立ち会うことがあり、

「老衰」「自然死」のような形の死に前に初めて出会った。

 

何というか、今まで体験したことのない「死」

寝る時間が長くなって、少しずつ食べる量が減ってきて、

水分だけになり、

眠るように訪れる「死」

主観かもしれないけれど、顔がとても穏やか。

 

そこには、

点滴も、モニターも、酸素もない。

日常。

 

 

あ、「死」ってこういうものなんだ。

 

 

この経験から、自然死について興味を持った。

 

飲んだり食べたりできなくなると、

脳内に麻薬様の化学物質が分泌されていい気持ちになり、

脱水により意識レベルが低下して、

うとうと眠りがちになる。

 

人間には、本来は、苦しまず、寿命を終えるシステムがある。

これは衝撃で…(^^;

 

寿命を終えようとしている人に対し、

何かできることはないか?

苦痛を和らげることは?

苦しそうだから、どうにかしたい!

と、思ってするのが医療なんだけれど、

寿命を終えようとする人には、

 

食べ物も、水も、

点滴も、

酸素も、

余計なお世話…ということになる。

 

「死」を身近に感じて、

「死」に直面して、

「死」を考えて。

 

人間ってすごいなーーーと。(簡単だけれど(;'∀')

 

色んなシステムが備わっている。

ではでは…そうすると、

外的な力で無理やり何かをどうこうする必要ってないんじゃないか?

自然に任せれば、

自然にどうにかなるようにできているんだ。

「死」だけではなく、

いろんな起きる出来事のことも。

 

抗わず、

自然に任せて、生きていれば、それでいい。

 

と、

「死」を思ったことで、

「生」にもつながっていった。

 

そういうことか…

 

自然に「死」を迎えること。

それは、自然に生きること。ありのままに生きること。

 

そう意識を変えることで、

平和につながるんじゃないかな~と、壮大なことも妄想している(^^ゞ

 

そう思えると、

仕事をやりたい、

自然「死」が迎えられるよう

わたしにできることがある☆☆☆

と、やりたいこともムクムク出てきた。

 

娘の「死」を考えさせられる出来事。

そのことをきっかけに転職した職場での体験。

 

そして、今がある。

 

つながっているんだなあ…

 

人生に必要なものを準備してくれている

 

これでいい、大丈夫

 

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