イベントの前日は大荒れ
イベント(キャンプとか、お泊りとか…)の前日は、大荒れ(-_-;)
うわあ~~~~!!!!
泣く、わめく、叫ぶっ!!!
いや~…
自分が行くって言ったんやろう?
そんなんわかってたやん?
なんなん?寝れへんやんっ!
って、イライラ…
してたわたしなんだけれど。
ここまで何回も重なり、
視点が変わったのかな・・・?
「うわあ~~~!!!」
に対して、
きた。
でした。
もう、ええやん。
うん、で?
そうか、そうか、へえ~、そうか。
じゃあ、そのモヤモヤするとこだけ、
とったらええやん。
ほんで?
「寝れないのが、ツライ。」
うん、わかる。
わたしも、眠れなかった、今もたまにある。
若い時は、しかも
お泊りとなると、
全然寝れなかった。
歳をとったからわかる。
寝れんでも、
次の日の朝、
来るやんな?
ん、でも、
そのときは、しんどかった。
ひつじを何千匹数えてた…つらかったな。ひとりで、数えてた。
もう、ええや。
泣きたいときは、泣いたらええな。
よしよし。
「うわあ~~~ん!!!」
を、解放すると、
すごく泣く(;^_^A
泣き声きいていると、
あーーー…
この子、
めっちゃ泣きたいの、
ずっと我慢しててんな。
と、思えてきて。。。
泣いたらええわ。
と、思えるようになった。
何歳でも、
何でも、
ええやん。
泣きたい時に、泣けば(´;ω;`)ウゥゥ
動揺しなくなった自分によしよししつつ、
でも、かわいい娘のことは気になる。
仕事だったから、イベントに行ったかな?
と気にはなったけれど、
「夜に見に来て。」「そのときに帰るかも。」
とういのを、朝にも約束していたので、
お約束通りに観に行ったら、
「泊まるから、帰って。」
と、(;^_^A
これは、嬉しい、
「えーーーっ!!!」
で。
この観に行く時にも、わたしには少し葛藤があって。
だいぶ以前なら、
○○ちゃんがいるのに、ひとり帰るなんて、その子に迷惑かからないかしら・・?
今は、
せっかく行ったんやから、楽しんで泊まってくればいいのに。
でも、
わたしと一緒にいたい、と思う感情をストレートに表現できるのはいいなあ。
歳の割には幼いかもしれないけれど、
歳の割って誰が決めたん?
ええやん、うちの娘は、うちの娘で。
帰るなら、一緒に寝れるし、楽しい話聞けるし♪
みたいな、どんどんふわふわした気持ちになっていって、
自分でもびっくりするくらい、
イライラせず、
そうなんかーーー
って受け止めることができて
驚きΣ(・□・;)
そしたら、
「泊まるから、帰って。」
が、きて、
以前なら
なんなん?
自分が来てっていうたやん?
忙しいのにっ!
だったんだけれど、
うわあ~~~すごいっ(#^.^#)
楽しそう♪
表情、めちゃいい!
うれしいーーー!
と感じた。
素直に。
帰りは、一人でルンルン、ぽかぽか。
あーーー
わたし、も、娘も、
大丈夫だーーー楽しいわーーー^^
今後も、続く?か、イベントの前日の大荒れ。
でも、
面白いことが待ってる♪
どうとらえるかは、
わたし次第なんやな~☆
胎内記憶②
「かみさまとのやくそく」の上映会を観に行った。
行く前の家での準備の時に、
わたしはなぜか、白紙のA4をたんまりバッグに入れていた。
「入れとかなきゃ」
って思った。なぜか・・・
その白紙のA4用紙が、上映会で大活躍。
映画が始まると、
紙を欲しがる娘。
ペンが、進む、進む…!
何かにとりつかれたように描く、描く、描く娘。
生まれる前の世界とか、
わたしのお腹の中に下りてきた時の絵とか、
お腹から見えた風景とか…
半分、だまして連れてきたこの上映会(-_-;)
でも、
娘の表情は、
みるみるイキイキ…☆
出てくる、出てくる♪
滑り台の話。
宇宙の話。
青い〇の光だった話。
神様の話。
滑り台は、〇のところだった話。
生まれた時に、
まぶしすぎてつらかった話。
首がすわらなくて、首が痛かった話。
もっと…あったと思うんだけれど。
胎内記憶がうそかほんまか、どうか?
そんなことは、どうでもいいーと思った。
うそ、とはわたしは疑っても何ともないんだけれど、
そう思う周りの感じがあるから。
この上映会に来て、
娘が本来の表情を取り戻して、
そうそう!って、
いきいきしてた☆
「いっぱい人が来てたけど、話してみたいと思ったんや。」
最近、ふさぎこみがちで、暗かった子が
恥ずかしがりながらも、マイクを手に取った。(これ、奇跡☆)
後日の娘の言葉。
「もっと人がいる前で話したい。
色々な人とつながりたい。
世界の人に、わたしを知ってもらいたい。」
すごいなあ~…と思った、娘(;^_^A
最近まで、校門の前でおいかけっこしてたのに。
泣けなくて、泣けるようになって、泣きじゃくってたのに。
「人の役に立つために生まれてきた。
おかあさん、かわいかったから。面白そうやったから、来たかった。」
「争いはきらい。」
ストレスで口内炎だらけになったことがある娘。
娘のトラブルに関わった子が、同じ状況だったことを知った時に、
「(その子が苦しんでいる状況を知って)
わたしと同じようなツライ思いはして欲しくない。」
上映会で、「いじめ」について講演があり。
人は生まれる前にこういった人生にしよう、と決めてくる。
キャスティングも。
「いじめ」もそのうちのひとつで、
上では、頼みやすい親しい人に、
いじめ役をお願いする。
いじめ役にも、その子たちなりの人生があり、
それを選んで生まれてくる。
だから、いじめに関わった子たちは実は上ではとても仲良し。
じゃないと、そんなこと頼めないよね~♪
といった話があった。
「お空で、いじめた子とは仲が良かったんやな。
なんでわたしにそんなひどいことをするん?と思っていたけれど、
そう思うと許せるわ。」
事が起こってから、
初めて娘の口から
「許せる」
という言葉が出た。2年くらいかな…?
へえ~~~…
すごい…
…としか、なんとも…だった。(言葉で表せない…(^^;)
そう思って欲しかったけれど、
わたしもわたしで母としてその感情を追いやるのはかなり難しく(-_-;)
やっと、
最近、
できた?と、思ってたとこで。
それも、これも、
胎内記憶
やっぱり、
自分でいたら、いいんだな~と思った。
周りに合わせる必要もなく、
「お腹に居た時のこと、覚えてるんやよね~♪お空のことも!」
これが、自分!
で、いいんやないかと。(娘の話)隠さなくても。
そんなふうに思っていたら、
わたしにも不思議なことが起こったり。
「目に見えないものを、大切にして下さい。」
娘が学校に向けて書いた手紙の最後にあった文章。
「はい♪」
引っ張られるように、
ステキな方々にめぐりあえる今日この頃♪
胎内記憶①
「おかあさんが、いくらを食べてるときにおりてきた。」
娘は小さいときから、不思議な世界の話をする。
これは、ずっと以前から言っていて、
しかも話は合っている。。。
元夫の実家に帰省中(お腹が大きい時)に、
いくらを食べさせてもらった。
めっちゃ喜んでた記憶が…( ;∀;)
「誰にも言わないで、秘密。」
と、娘に言われていた。
この他にも、色々な上の世界のことを夜に二人きりになると
ペラペラと饒舌に、
楽しそうに、上の世界のことを
話す娘。
多分、しゃべれるようになった
2,3歳から8,9歳まで、ずっと。
わたしは、半信半疑なんだけれど、
でも娘の話す様子をみていると、
ウソではないのは、わかった。
説明できないけれど、しゃべり方で。
わたしはそういう記憶はないんだけれど、
そういうのは「そっか~」と受け入れるタイプで。
否定することなんて、思いもつかず、
「うん、うん。」って、
とても楽しくきいていたなあ~~~…
だって、どんな映画観るより楽しい♪
そして、すこし前。
「そんなん、思いつき。」
という娘。
「もう、卒業しなあかん。」
でも…
死んだら、どうなる?
自殺したら、どうなる?
とか、もろもろを10歳にもならない子が、
ペラペラと答えるのを目の前で見ていたので、
・・・と思い・・・
「いいんやよ。
お空の世界に好きな時に行っても。
自分が楽しいようにすれば、いいの。」
みたいなことを、苦しんでいる娘に言った覚えがある。
胎内記憶は、今は、
色んな本も出ていたりする。
小さい子がしゃべったり。
娘は、今でもある。全部ではないけれど…
多分、
それを自分で
周りの子とちがう!
と、感じて、封印しようとしたのかな~と思う。
必死に、
周りに合わせようとしていた時期だった。
わたしは、そうして欲しくなかった。
そのままで、いい、
と、思った。
いい顔していたから。
上のことを話しているとき。
そういうような気持ちでいたら、
チャンスが巡ってきた♪
たまたま、思い立って行ったところで出会いがあり、
娘と胎内記憶の映画、「かみさまとのやくそく」を観た。
パッカーンっ♪!(^^)!
娘、出てきた(#^.^#)
なじまなくてもいいんです。
わたしの人生は、
生きづらい
この一言。
小さい頃から、しっくりいかない感じ。
それでも、がんばらなきゃ。
みんなと同じように。
と、定期的にくる色々な問題もがんばって乗り越えてきた。
乗り越えてるようにみえただけ?
ただ最近は娘のことを期に
視点が変わってきていて。
問題が起きると、
いかに乗り越えるか?
より、
どう、どこからみたら、
面白くみえるか?
それで自分がだいぶ機嫌よく過ごせるようになってきた。
でもまだモヤモヤすることもある。
会う人たちも変わってきて、
すると、「がんばって乗り越えろ!」という人なんて
ひとりもいなくなった。
「チャンスじゃ~ん☆」
「いいねえ~♪」
とか。
わたしの頭もそんな感じになってきた。
最近は、
「なじまなくてもいいんです。」
と、言い切る人がいて、
これにぴーーーんときた。
まだなじもうとしてたから、
モヤモヤしてたんや。
そもそも、
小さい頃から
おかしいな?と思ってるのに、
なじもうとしていたんだな…
そりゃ、しんどくもなるな~
自分が劣っていたり、努力が足りないから
なじめない、
と思っていたんだけれど、
どうもそうではないようで、
そもそも、
今、この国で当たり前と言われていることが
わたしには
なじまない、
んだ。
優れている、とかいうんじゃなくて個性だと思う。
だから、海外に出たくなったり
そちらに興味が向いたりしたんだ。
がんばらなくてもいい。
そのままでいい。
も、そうやな~と思ったけれど、
なじまなくてもいい。
も、響いた。
これも、好きなことするぞ!につながる♪
学校へ行かなくていいよ、と言いたい。
「学校へ行かなくていい。」
はじめは、
学校へ行かなきゃ勉強ができない。
学校へ行かなきゃ友達ができない。
学校へ行かなきゃ道から外れる。
どんどん、
学校へ行かなくても勉強はできる。
学校へ行かなくても友達はできる。
学校へ行かなくて、外れる道ってなんだ?
に変わってくるんだけれど、
でも、
それはほんま?
ほんまにそれでええの?
というのがやってくる。
子どもに「行かなくてもいいよ。」って
心から言えるようになりたい、のに。
のに、
くるから、
これはどこから来ているのか・・・?
と考えた。
実際に学校へ行かなかった大人、
ステキな人がたくさんいることを知った。
逆に、
学校へ行っていい大学に入って、いいと言われる道をいっている大人。
そういった人よりも、
わたしがみて、ステキだと思う人は、
学校へ行かなくても、
好きなことを思う存分していて、
いきいきしている人。
こちらの方がいいと思っている。
本当に。
それはほんま?
ほんまにそれでええの?
うん。そう思ってるよ。いっぱいそういう人に会ったし。
それはほんま?
ほんまにそれでええの?
…そうは、思っているけれど、
子どもがそう生きていくと思うと…
いや、いや、、、
自分やな~…
自分がまだいいと思われる道にしがみついているから、
道にいるから、
心から、道から外れて、
大丈夫だよ。
…とは、言えないわたし。
「学校へ行かなくていいよ」って言いたいんじゃなくて、
「学校へ行かないっ!!!」=道を外れる=好きなことをする!
って、
自分がしたいんだ。言いたいんだ。
言葉って、
人に対して発しているようにきこえて、
実は自分に言っているんだと思う。
だから、
何か発した言葉が、
モヤモヤするな~と思ったら、
その原因は
自分の中にある。
「すきなことをしていいぞ~~~!!!」
!(^^)!
そう考えると、
「学校へ行かなくていい。」って小っちゃいな。
そんなことで、あ~う~って思ってるのも、なんか小っちゃい。
「学校へ行かなくていいよ。」と言うより、
「好きなことしよう!」でいいのでは?
よし、そうしよう♪
スポンジのような子
娘は、スポンジのような子だと思う。
子どもはみんなそうなんだろうな…
いいことも、良くないと思われることも
ぐんぐん吸収する。
良くないと思われる、いじめがあったりのそういう環境にいても、
合わせて、色を変えようとして、
ぐんぐん吸収しようとする。
でも本当は色を変えたくないし、
吸収したくないから、
ギューってスポンジをしぼって出し、
またぐんぐん吸収し、
出し、
吸収、
出し…の繰り返しで、
スポンジはボロボロになる。
もう、吸えません!
そんなスポンジ娘に、
最近は、カラダに良いと思うことや、それを伝えてくれる人に
会ってもらっている。
すると、
やっぱりスポンジみたいに、
めっちゃぐんぐん吸収する。
本当に高機能なスポンジだな~と感心する。
いいことをぐんぐん吸収して、
カラダの調子も良くなり、
気分もアップしていく娘。
そんな時のスポンジは、
上機嫌だから、まだまだ吸えるって
ぎゅーって出したりしない。
どれだけでも吸収できそうな
いきいきとしたスポンジになる。
こっちのスポンジ活動にはまってしまうと、
もういきいきアンテナが、ピーンっとはって、
これはいいものが吸えそうだ♪
というところにしか、目がいかない。
スポンジのような子に、もちろん自分にも♪
いいもの、心地の良いものを準備して、吸収して、
カラダと心を喜ばせてあげるよう(^^♪
苦手な人
とっても苦手な人がいた。
なんだか、頭の中に浮かび上がってしまう。
イヤなのに。
許せない、とか思ってしまう。
考えなきゃいいのに。
色々あり、
気持ちはどんどん落ち着いてきているのに、
その人のことが
頭から離れない。
顔も見ないようになったのに、
思い出してしまう(-_-;)
も~こうなると、
好きなのかっ!?
…って感じになっちゃうな。
でも本当にしぶとかったので、
結構悩んだ。。。
で。
最近、消えた!(^^)!
すべては意味のあることで
つながっていて、
自分が起こしていることなんだ。
ということが、心にストンとちゃんとおちてから。
苦手な人は、
その人じゃなくて、
わたし
だった。
わたしの苦手なところ、
イヤな部分。
自分が受け入れられなくて、
許せなくて、
考えたくないけれど、
思い出してしまっていた。
①ぶちぶち考えてしまうところ。
②すぐ落ち込んでこもってしまうところ。
③暗いところ。
④自分を隠しちゃうところ。
⑤あきっぽいところ。
⑥思ったこと、言えないところ。
⑦いいこちゃんしちゃうところ。
これを、、、
①じっくり考えられる!
②すぐ元気になる!
③落ち着いている!
④冷静・客観的!
⑤好奇心旺盛!
⑥聞き上手!
⑦周りがみえている!
リフレーミングしてみた♡
リフレーミングは、肯定的な意味づけ。
最近、はまっていること。
結構おもしろくて、案外難しい。
日頃どれだけマイナス言葉を使っているかが、よくわかる(-_-;)
そこから、
どんなマイナスと思う面にも、
プラスの側面があるということ。
完璧じゃなくていい。
そのままでいい。
と、思えるようになったこと。
それが頭から、心におちた時に、
苦手な人が消えた。
苦手な人は、
わたしのイヤな部分。
イヤな部分も、わたし。
イヤな部分は、違う見方をするといい部分に変わったりする。
人をみているようで、
自分をみているんだな~
全部、自分なんだな~
と、しみじみ。
本を読んで、ずっと前から知っていたことなのに、
気づかされるような出来事が起こって、
はじめて「あ~!」って気づく。
これが、自分の中に入ったら、
苦手な人はいなくなる。
あ~…と思う人はいても、
あ、これわたしのどこだろう?
それはそれで、いいんだ。
見方が変わっているので、
イライラしたりも、許せない、と思ったりもしない。
その人はその人の人生なんだ、と思える。
流れに逆らおうとも思わない。
そっか~…
うん。
なるようになるように、できている。
だから、大丈夫♪
みたいな(^^♪
結構悩んだのが、悩みじゃなくなって
自分も楽に穏やかな気持ちになれた。
と、思うと、苦手な人にも勝手に感謝♡