人をジャッジすること
「ジャッジ」・・・判決を下すこと。判断すること。審判。判定。
わたしはジャッジが好きだった。
テレビのニュースに、あ~だ、こ~だ。
これはおかしいんやない?
こんなのありえない。
普通は~やろう?
何に関しても、「普通は~」とどこの普通かわからないものひっぱってきて
ジャッジしていた。
なんで?
がんばっている自分が、正解だということを証明したかったから。
だから、批判ばかり。
「~はちがう。」→わたしはまちがっていない。
「~が当たり前、普通やろ。」→わたしは普通だ。大丈夫。
大声で、
「わたしはあっているんだから、大丈夫だよ~!」
って、自分自身にアピールしていたわけだ。
そもそも、正解、不正解、いい、悪い、ってどこから来るんだろう?
みんなに合うジャッジがあるのか…?
学校に行くことが、当たり前かどうか?
娘のことで、当たり前のこと、
当たり前って思うこと、
当たり前って言われること、
それってなんだろう?と考えることになった。
母親が父親のことを言ってきた。(いつもなんだけれど…)
「病院の待合でコーヒーを飲むんだよっ!
止めても、なんで?って全然聞かない!
なんで?って、当たり前やろ~!」
つまり、
待合で飲み物を飲むことがいけないこと、だと母親は思っている。
待合で飲み物を飲むことは普通のこと、だと父親は思っている。
二人の普通は違っているから、
交わるはずがない。
以前はわたし、母親につられて、
「何それ~?あかんやろ。普通は~!」
って応戦していた(苦笑)
今回、これ聞いた時に…
(別にええやん。どっちでも。注意されたら父親が考えることだし。
となりでコーヒー飲まれた母親が自分が恥ずかしいと思ってるんだろうな。)
と、聞き流していて。
「ええやん。」
と母親にお返事。
最近、母親のジャッジにのらなくなったわたし。
のらないどころか、その普通ってなに?って反論したりもする。
以前なら、
わ~わ~って盛り上がるジャッジのお話。
今は、
シューーーって小さくなって消えていく。
でも母親の当たり前を聞くと、
ザワザワする。
まだまだわたしの中に、
ジャッジする自分がいるんだろうな~…
でもでも、
そんなわたしも全然OK♪
今の自分をいい、悪いとはジャッジできないし、
誰のこともジャッジなんてできない。
みんなちがって、みんないいんやもん( ´艸`)