わたしはしあわせ

ずっとがんばってきたけど…もうや~めた☆自分のこころに耳を傾ける日々の記録

人をジャッジすること

「ジャッジ」・・・判決を下すこと。判断すること。審判。判定。

 

わたしはジャッジが好きだった。

テレビのニュースに、あ~だ、こ~だ。

これはおかしいんやない?

こんなのありえない。

普通は~やろう?

 

何に関しても、「普通は~」とどこの普通かわからないものひっぱってきて

ジャッジしていた。

 

なんで?

 

がんばっている自分が、正解だということを証明したかったから。

 

だから、批判ばかり。

「~はちがう。」→わたしはまちがっていない。

「~が当たり前、普通やろ。」→わたしは普通だ。大丈夫。

 

大声で、

「わたしはあっているんだから、大丈夫だよ~!」

って、自分自身にアピールしていたわけだ。

 

そもそも、正解、不正解、いい、悪い、ってどこから来るんだろう?

みんなに合うジャッジがあるのか…?

 

学校に行くことが、当たり前かどうか?

 娘のことで、当たり前のこと、

当たり前って思うこと、

当たり前って言われること、

それってなんだろう?と考えることになった。

 

 

母親が父親のことを言ってきた。(いつもなんだけれど…)

 

「病院の待合でコーヒーを飲むんだよっ!

 止めても、なんで?って全然聞かない!

 なんで?って、当たり前やろ~!」

 

つまり、

待合で飲み物を飲むことがいけないこと、だと母親は思っている。

待合で飲み物を飲むことは普通のこと、だと父親は思っている。

 

二人の普通は違っているから、

交わるはずがない。

 

以前はわたし、母親につられて、

「何それ~?あかんやろ。普通は~!」

 

って応戦していた(苦笑)

今回、これ聞いた時に…

(別にええやん。どっちでも。注意されたら父親が考えることだし。

 となりでコーヒー飲まれた母親が自分が恥ずかしいと思ってるんだろうな。)

 

と、聞き流していて。

「ええやん。」

と母親にお返事。

 

最近、母親のジャッジにのらなくなったわたし。

のらないどころか、その普通ってなに?って反論したりもする。

以前なら、

わ~わ~って盛り上がるジャッジのお話。

今は、

シューーーって小さくなって消えていく。

 

でも母親の当たり前を聞くと、

ザワザワする。

まだまだわたしの中に、

ジャッジする自分がいるんだろうな~…

 

でもでも、

そんなわたしも全然OK♪

今の自分をいい、悪いとはジャッジできないし、

誰のこともジャッジなんてできない。

 

みんなちがって、みんないいんやもん( ´艸`)

 

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