わたしはしあわせ

ずっとがんばってきたけど…もうや~めた☆自分のこころに耳を傾ける日々の記録

摂食障害の記憶

短大の時に摂食障害になった。

ひとり暮らしをはじめて1年くらいたった頃。

今でも思い出すと、

 

苦しい。とてもツライ。息がしにくくなる。

 

この感情たち。(苦しい。ツライ。息がしにくくなる。)

わたしはこの時、この感情たちを暗いぎゅーぎゅーなところに押し込めて

なかったことにしようと、躍起になっていたんだと思う。

ちゃんと、感じてあげなかった。

 

ひとりで原因とか治療法とか調べて、ひとりでどうにかしようとした。

もちろん、そんなかんたんじゃないし、なんとかなるもんじゃない。

 

ひとに助けてもらう、助けてーって言えるチャンスだった。

 

実際にはたくさんの人に心配かけたし、迷惑かけたし、助けてもらった。

 

でもそんな

「心配かけるわたし、迷惑かけるわたし、助けてもらうわたし」

そんなわたしが大嫌いだった。

 

だからか、思い返すと、自分から

 

どうしよう。だれか助けてー!

 

と叫んだ記憶はない。

そんな心の声は、押し込んでいた。

優しい周囲の人たちが、何も言わなくても支えてくれていた。

 

摂食障害もがんばって乗り越えようとしたし、

結果的にはわたしの中でそうなってしまっていたのかもしれない。

 

娘の不登校のことで、思い出さないようにしていた摂食障害のことも思い出した。

その時の友達とつながる機会があったり。

今でも摂食障害で苦しんでいる人はたくさんいる、という記事も目に入ったり。

 

ああ、つながっているんだな。

根本はいっしょだな。

 

…と、しみじみ思った。

 

隠したいことであったし、自分からしゃべることは滅多になかった。

でも、なんか気づいたら友達に「実はあの時~」ってメールしていて。

自分でも、びっくり☆

 

大嫌いだったあの時のわたし。

その大嫌いなわたしも、わたしなんやで~って、

 

辛かったな~、苦しかったな~、息がしにくかったな~

 

あの時に否定しまくっていた感情を感じであげる、

 

これを書いている今も、のどの奥からくわーってこみあげてくるものがある。

でも、無視しないで、感じてあげる。

 

摂食障害の記憶は、

わたしの大切な一部なんだなあ。

 

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